造形カリキュラム


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【Ⅰ】造形カリキュラムの基本的な考え

3.造形活動理解の軸となるいくつかのこと

(3)技法と素材
 文字を知らないと手紙が書けないように、技法を身につけなければ描いたり作ったりすることは困難です。また、素材のもつ性質を知らないと、遠回りすることになるかもしれません。ところが、「あいうえおノート」を使ってひらがなを教えるような危うさが、技法と素材にはあるのです。
 たとえば、絵の具と水の割合による濃度の調節やはさみの使い方など、習得すればたしかに描画や工作に役立ちます。ところが先回りして子どもに方法だけを教え込むようでは保育ではありません。絵の具の濃度の調節もはさみの使い方も、実際の描画や工作に子どもと取り組む中で、「このほうが便利だよ、こうしたほうがうまくいくよ」と伝えることが大切です。体験を通して学ぶことが尊重されなければなりません。
 たしかにはさみの習得には順序があります。持ちかたを知り、切り落とすことができるようになり、次には刃の全体を使い切るのではなく(切り落とすのではなく)、途中で止めてはさみを送ってから続きを切る、そのとき左手で紙を保持するとうまくいきます。それができるようになれば曲線を切る練習を積むことで、添えた左手が紙を送るときには刃で紙を保持することができるようになり、はさみの使い方は完了します。このような知識を保育者が持つことは無駄ではありませんが、段取りよくこれを子どもに教え込むことは保育ではありませんし、それを体験とはいいません。
 保育の場の体験とは、教えられてできるようになるようなことではなく、子どもの興味関心が原動力となり、子どもみずからが人や事物に関わり、保育者と一緒に活動することで知恵を体得することです。ですから、保育者が予定したように活動が進行し、終了を迎えるのではなく、そこには必ず展開がなければなりません。展開とは一回性のものであり、どうなるのかわからないところに意味があります。子どもが展開したからこそ、そこに保育の意味が生まれるといってもいいでしょう。はさみの扱いを段取りよく教えても、はさみではさみを教えたに過ぎません。私たち保育者は、はさみで表現することの意味を子どもたちとともに探求しなければならないのです。効率よくできないことができるようになることを保育と取り違えてはなりません。それは前節で引用したクラス便りのマーブリングが教えてくれたことです。マーブリングでマーブリングを教えるのではなく、マーブリングで造形活動の楽しさを子どもたちと共有することが保育です。もっとも、保育の意味や子どもの育ちは、あとからじっくりと省察しなければなりませんが・・・。

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