音楽カリキュラム編成の基本的な考え方


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保育者が活動を提案するということ ~園長の個人的な体験とともに~

(背景)
 泣いたり、拗ねたり、落ち込んだり・・・、保育の場の子どもたちは、一日に幾度もつらい気持ちを味わうようです。エピソードの二人も、大好きな先生との別れのつらさをぐっと我慢していることが痛いほど分かるのですが、私たちはどうしてあげることもできませんでした。大泣きしたり、保育室を飛び出して旧担任のところへいってくれたほうがたすかったかもしれません。でも二人は、自分たちがおかれている状況をわきまえてはいても、こみあげる淋しさは自分でもどうすることもできないでいました。そのような二人に、私たちもなす術がありません。それだけに、オペレッタを演じるあいだに元気を取り戻した二人に驚き、そして安堵したのでした。
 この短いエピソードの中にも、保育者が提案して子どもとともに取り組んだ活動がいくつも見られます。主題となったオペレッタもそうですが、家作りも、朝の集まりも、年度の節目に進級してクラス替えがあることも、保育者からの提案です。子どもは知らないことは知らないのですから、大人が配慮して生活が充実し、あたらしい"もの"や"こと"に出会って、いろいろな力をつけてゆくことは、保育の場に必要なことです。またこども園や幼稚園のような施設は、子どもが初めて社会的な集団と出会う場所ですから、集団への適応能力も保育の視野に入ります。ところが、保育者が設定した保育が、結果だけを求める保育になっていて、できたか、できなかったか、どれだけできたかといったことが物差しとなり、子どもが評価されることが少なくありません。私は何も、設定保育がよくないといっているわけでも、自由保育こそ保育だなどと主張しようというのでもありません。子どもと保育者が保育的環境を創造し、保育がゆたかに展開することが大切で、そのような創造と展開の過程に、子どもの心が育つ機会があると思うのです。
 私が保育の場に足を踏み入れたころ、不思議に思ったことがふたつありました。ひとつは、ピアノの合図で子どもたちが一斉に立ち上がったときです。まるでホイッスルのようにピアノが使われたことと、立ちましょうという先生の呼びかけもなしに、ジャン!というピアノの音で子どもたちが一斉に立ち上がったのを見て、これではピアノも子どももかわいそうだなあと思いました。ピアノは音楽を奏でるために作られたはずだから、これではピアノへの冒涜ではないかと、若かった私は腹立たしい気持ちになりました。また、立ちましょうといえば済むものを、合図で立たされるのでは、これは命令されているのと同じではないかと、やはりやりきれない思いでした。
 エピソード「せんせいばいばい、せんせいよろしく」に出てきた朝の集まりでは、保育者は一度も集まりなさいとはいいませんでしたが、少し広くなったところに椅子が置かれ、絵本をもった先生が座って読み始めると、子どもたちはだんだん集まってきて、絵本に見入っています。積み木遊びが終らない子は、絵本に耳を傾けながらもこれでいいと思うところまでやり遂げようとしていました。そのようないつもの朝の風景の中で主人公のふたりは、その集まりを楽しむことができないばかりか、みいちゃんは集まりの輪に入ることさえできずにいたのでした。このように、保育者の提案に対して、一人ひとりの子どもがどのように取り組もうとするのか、そこには子どものどのような気持ちがはたらいているのか、その気持ちや子どもの振る舞いは、どのように変化したか、そうした過程が保育です。保育は、ピアノの合図で一斉に座れるように子どもをしつけることでもなければ、発表会当日目指して、子どもたちに保育者の大声が浴びせかけられることでもないはずです。
 子どもが落ち込んだ気持ちを自分で立て直すのを手伝うことはできても、子ども自身に気持ちを切り替えてもらえなければ、その場しのぎのごまかしになってしまいます。おなじように、子ども自身がオペレッタに興味を示し、自分からやってみたいと思う、取り組んでみたら楽しかった、みんなといっしょは楽しい、そういった経験を積み重ねることが保育です。その過程をゆたかにするために、保育者は環境を整えて、子どもを待つのです。
 さて、若いころに不思議に思ったことのもうひとつは、歌です。子どもが初めて出会う歌なのに、短いフレーズごとに先生が歌って聞かせ、それを子どもたちに何度も復唱させたり、給食のいただきますのまえに、とにかくひととおり歌わせたりといったことが繰り返されていたことでした。
 先生がふたりいて、ひとりが伴奏し、ひとりが歌って、ふたりで音楽を楽しむ姿をどうして見せてあげられないのだろう。歌うって楽しいねを、どうして身をもって子どもに示さないのだろう、私はそう思ったのです。保育者自身が音楽の楽しさを子どもたちに伝え、僕も私もやってみたい、歌ってみたいと思ってもらい、そう思った子から歌に参加してくればいいのにとつよく思いました。早く覚えて歌えるようになるという結果だけが追い求められ、それがあたりまえのようにならないためにも、まずは保育者が心から音楽を楽しむことが肝要です。

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