音楽カリキュラム編成の基本的な考え方


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エピソード せんせいばいばい、せんせいよろしく

平成20年3月10日
(背景)
 岩屋こども園アカンパニの新年度は、3月第3週から始まる。卒園をまぢかに控えた年長児はホールに集まって学校ごっこに取り組み、0歳から年中児までの子どもたちはそれぞれ、新しいクラスに進級する。このような新年度への移行は、3クラスある異年齢クラスの年長児たちが最後の2週間をいっしょに過ごせればと思ったことと、新入園児を迎えるまでにクラスづくりができていれば、新年度の慌ただしさも緩和されるのではないかと考えたからである。
 旧クラスで進級メダルをもらった子どもたちは、まるで民族大移動のようにこども園の中を行き交っていた。さくらんぼ組で新しい仲間を待っていた私は、泣いている子どもたちを何人も見かけた。1年をともに暮らした担任との別れがつらいのだ。そのような子どもは、新しいさくらんぼ組にもいた。年長になったまあちゃん(仮名)と、年中になったみいちゃん(仮名)だ。二人は旧担任を慕って、給食準備が始まってもめそめそしたままだった。
(エピソード)
 朝の集まりが始まっても、まあちゃんの悲しそうな表情に変化はなかった。杉浦保育教諭の膝に抱っこされて中川保育教諭の話を聞いている。みいちゃんはリュックを背負ったまま保育室の入り口に立っている。ほんとうは旧担任のいるクラスへ行きたいのだろうが、そこをぐっと我慢している。それでも出席調べでは、「はい」と小声で返事していた。
 保育者の提案で、新しいさくらんぼ組は40人の子どもたちが4つの家にグルーピングされることになった。そのため、子どもたちは自分たちでお家づくりに取りかかることになった。そのあいだも二人は元気がない。みんなの中にはいるのだが、どこか所在なげにしている。私も水色の屋根の家を担当して、子どもたちを手伝った。正午を回り、とりあえず一段落したところで給食の準備に取りかかることになった。
 ふと気づくと、まあちゃんとみいちゃんが、1週間まえの発表会で演じたばかりのオペレッタを再演している。ふたりは椅子に並んで腰掛けているので上半身だけの演技だが、オペレッタ「インドの6人兄弟」のオープニングからフィナーレまでを、歌いながら踊っている。さっきまでのふさぎ込んだ様子はすっかりどこかへ吹っ飛び、楽しくてしようがないようだ。それを見ている子どもたちまで引きこまれてしまっている。私もロッカーにもたれて最後まで見とれてしまった。演じ終えたまあちゃんは、いつものまあちゃんに戻って、かいがいしく配膳をリードし、終わると中川先生に「もう食べてもいい?」と元気に尋ねに行き、OKをもらうと、「いただきます」の挨拶をみんなに促し、給食を食べ始めた。
(考察)
 オペレッタを演じる楽しさが、二人の気持ちを立て直してくれた。音楽の持つ力にあらためて驚く。大好きな先生や友だちと楽しみながら覚えて演じた「インドの六人兄弟」。振り付けの説明まで音楽に合わせてやっている。私は、歌いながら踊るのはとても難しいと思っていたが、二人はなんなくそれをこなしている。こなしているというより、歌いながら踊るから楽しいようだ。保育の1年が、保育者から提案される内容と、子どもたちの自発的な活動とで構成されるとしたら、保育者から提供された保育が子どもたちの中にしっかりと根付いて、子どもたちの自発的な活動の中ににじみでるのだということを、ありありと見せられた場面だった。
 保育者から持ちかける保育が子どもたちの自発的な活動の肥やしになるといっても、それが指導性の強い"させる保育"であったなら、子どもたちの中に根付くことはないだろう。歌詞とメロディを覚えて歌うことのおもしろさは、指導によっても伝えることはできるかもしれないが、オペレッタの練習やリハーサル、ビデオ撮り、本番を通して、"いっしょが楽しい"ことが子どもたちに共有され、しっかりと受け取られるのでなければ、まあちゃんとみいちゃんのように、つらさを乗り越える武器にオペレッタを使ってくれることはないだろう。

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