第5章 保健は保育の土台
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第3節 保護者に求めたい理解
2.素朴な発達観
大きくなったね、最近お兄ちゃんになったね、お姉ちゃんになったね、しっかりしてきたね、もういつでも小学校に上がれるね、などと子どもの成長に私たちは目を細めることがしばしばあります。そのようなとき子どもの育ちは、子どもの「なった姿」として喜ばれているのですが、発達が「できないことができるようになること」と捉えられてしまうと、発達段階は「ならなければならない姿」の物差しとなり、「させる保育」が求められることになります。
保健が保育の土台であるというとき、そのときどきの子どもの成長を保護者と共に喜び、分かち合うことで十分だとする素朴な発達観を保護者と共有していないと、行事なども子どもの頑張る姿ばかりが求められ、そのため保育者は保護者に「見せるための行事」に追い立てられて、子どもを追い立ててしまうことになりかねません。「気がつけば、大きくなったものだね」と、子どもの育ちを後から喜ぶ素朴な発達観こそ、保健を考える上で重要です。なぜなら、そのような素朴な発達観によって保育が用意されないと、子どもの"いつもの様子"を、保育者は手に入れられないからです。