第5章 保健は保育の土台


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第2節 予防ということ

3.死が生を照射する

 一日に昼と夜があるように、太陽と月が交互に昇るように、この世に男と女がいるように、和音にメジャーな響きとマイナーな響きがあるように、うれしかったり悲しかったりするように、生と死があります。それはどちらが良くてどちらが良くないというようなことではなく、両方あるから世界が豊かになるのではないでしょうか。先の混色も、濁った色や暗い色があるから明るく透明な色が意味を持つといいましたが、明るく透明な色が濁った暗い色の存在を意味づけてもいるようでもあります。そうだとすれば、死は忌み嫌うものではなく、生と共に人の生涯を豊かにしてくれるものなのではないでしょうか。
 腐葉土に陽光が降り注ぐと、隠れていたどんぐりが発芽を始めます。新しい生命の息吹きです。幼木は成長してたくさんの葉や実を森に落としますが、いつかは朽ち果ててゆき、腐葉土と化します。その腐葉土に陽光が降り注ぎ・・・と、森の物語は循環を繰り返します。
 このように単体としての有機体の生死は循環に回収され、永遠の命に回帰してゆきます。その循環の美しさが私たちの生活に彩りを与えてくれるのです。もっとも自然も文化も陰陽に二分できるほど単純ではなく、その営みは多様性に富んでいますが、すくなくとも清潔や安全が絶対視されてしまっては、すなわち陽だけに価値が認められてしまうと、人の生きる意味は奥行きを失い、薄っぺらなものになってしまうでしょう(その薄っぺらな価値観で子どもを評価してはいないでしょうか)。
死が生を照射しているからこそ、人生が豊かになる。保育の場がそのことを忘れて、臭いものに蓋をしてお仕舞いにしてしまっては、肥やしが不足して保育は痩せてしまいます。

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