第5章 保健は保育の土台


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第1節 病気や怪我に気づく

1.心と体

 保健は、保育を支える重要な土台です。ところが一般的に保育現場では、保健というと病気の早期発見と予防、怪我の初期手当てと防止、そして子どもと保護者への健康・安全教育に終始しています。生活リズムや栄養バランスの大切さ、適度な運動の必要性、清潔意識の重要性を子どもと保護者に伝えながら、医療機関の検診や検査、計測などによって身体及び身体機能の異常を早期に発見することに努め、園環境における衛生と安全の向上に怠りないことで、こども園の保健は担保されるとするのが一般的なようです。でもそれだけでは、保育の観点から重要な何かが欠落しているように思われます。それは、子どもの心と体を別々に論じることはできないということです。
 たとえば発熱ですが、"なんだかいつもの元気がないなあ"と思った保育者は、子どもの体に触れて熱がないかを確認し、少しでも不安があれば体温計を用います。このとき、その子の平熱を知っていることも重要ですが、なにより子どもの様子から発熱の程度を予測することが大切です。それは体温計が計測時の体温しか表示しないからです。子どもの様子に熟知した保育者なら、"これから熱が上がるかもしれない"という予感がはたらく場合があり、それが医師の治療を遅らせずに済むことも少なくないからです。
 さて、身体の発熱に対する対応はこれで十分でしょうが、医師に子どもをゆだねた後にも保育者の仕事はあります。いえ、正確にいえば、発熱の把握とその対応に並行して保育者はその子が元気を取り戻すまで、その子の気持ちを思い、その子の辛さやしんどさを引き受け、その子の不安や痛みを治療とは異なる保育者らしい方法で和らげるという仕事があります。保育者であれば、病院で受付を済ませて子どもと診察を待つ苦労も一度や二度ではないはずですが、待合室の子どもの様子を思い出せば、子どもの心と体を別々に論じることができないことは容易に理解できるのではないでしょうか。
 保育者が"なんだかいつもの元気がないなあ"と感じ取れるのは、その子の"いつもの様子"を知っているからに違いありませんが、その"いつもの様子"は、その子の検診や計測の記録からではなく、その子とこども園生活を積み重ねて保育者がいつとはなしに感じ取ってきたものであり、心と体を切り分けない"まるごとのその子"です。身体だけでもなければ気持ちや思いといった心だけでもありません。まさに「心身」なのです。身体の異常は心に影響を及ぼし、その心が表情や身振り、仕草、話しぶりなどを"いつもと違う"状態にさせます。あるいは身体に異常がなくても、心が弾まない、心に何かわだかまるものがあるというときもやはり、"いつもと違う"ことになり、それが長く続けば、やがて身体や身体機能にも影響を与えずには置かないでしょう。

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