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こままわし

昔の子どもたちには

子どもたちだけの社会がありました

子どもだけの遊びがありました

そこには子どもがつくった

子どもだけのルールがありました

ごっこ遊びのルールです

里山の風景の中に群れ遊ぶ子どもたち

鬼ごっごも 缶けりも

こま回しも メンコも

白つめ草の首飾りも おはじきも

みんな お兄ちゃん お姉ちゃんから

おそわりました

 

岩屋保育園の保育形態  子ども社会を保育園の中に意図的に作り出すために
コーナー保育への取り組み 3・4・5歳の異年齢集団保育 遊びを見つけ出す園庭
表現を大切にする保育 年齢別の活動 乳児保育
統合保育      
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鎮守の杜の保育園です

ここでは、岩屋保育園の保育理念をご紹介します。

(1)子どもの成長を支える三つの場 保育園のページに戻る

 子どもは、家庭と地域と学校で育つといわれますが、本来の意味からいえば、家庭とは暮らしの場であり、地域とは人と物が作りだす共同体の場であり、学校とは学習を含む文化伝承の場です。そしてこれら三つの場を環境が包んでいます。
 では、保育園はどの場に属すかといえば、共同体でしょう。ここが学校と保育園の大きな違いであると思います。
 子どもたちは、暮らしの場である家庭と共同体の場(関わりの場)である保育園とに生活の基盤をおき、両方の場で文化を吸収します。

(2)岩屋保育園の子ども観保育園のページに戻る

 先に見たような役目を果たす保育園が、どのような子ども観によって保育を、あるいは子どもを見ているかといいいますと、それは「発達」と
「神道」の複合的な視点をもつ子ども観であるといえます。

発達とは
 子どもの発達をみる上での岩屋保育園のキーワードは、「もう一人の自分作り」です。人は誰でも自分の中にもう一人の自分がいて、ときには励まし、ときには叱り、またあるときには慰めてもくれます。このようなもう一人の自分が本来の自分に厳しいか、甘いかは、その人の人生を大きく左右するといっても過言ではありません。フランスの心理学者アンリ・ワロンは、このもう一人の自分のことを「社会的自己」と名づけ、主たる養育者との関わりの中で育つものといいました。もう少し詳しく言うと、主たる養育者(一般には母親です)との深い信頼関係の中で、子どもは自我を出します。いわば駄々をこねるということですが。その本来の自我の要求を母親はいったんしっかりと受け止め、そしてその要求がわがままなものであったり、その場では許容されないものであるとき、母親は子どもにあるべき姿を返します。「受け止めて返す」この根気強い繰り返しの中で、子どもは社会的自己、すなわちもう一人の自分作りをするのです
一歳半からは母親だけでなく、まわりの大人や友だちに対しても同じことをやり、ぶつかりながら少しずつ社会性を身につけていきます。四歳頃になると、子どもは友だちと自分を比較するようになり、その違いの発見が、もう一人の自分をより堅固なものにします。また、集団の中で自分を発揮したり、人から求められることに応えることに喜びを見出します。この部分がうまく育つと、やがて立派な大人になることへの憧れが湧き出し、学習への興味が育ちます。 これは一人の子どもの内面的な発達に注目したもの(固体能力発達)ですが、もう一つ見逃してはならないのが、子どもと保護者、子どもと保育者という関係性のなかに、両者はともに育つものであるという見方です。親も保育者も、子育てを通して成長を続けるものであるという保育観は、一人ひとりの子どもの成長をわがことの問題として受け止めることができます。エリクソンは、人は一生かかって自分の発達課題と取り組むものであり、最後の老年期を迎えるまで、年代ごとに克服しなければならない、その年代にふさわしい課題を解決しながら一生を送ると考えました。(表参照)言いかえれば、完成された大人などどこにもいないということです。ですから、子どもの発達は子どもの側だけの問題ではなく、その子と関わる大人の問題でもあるのです。   表1-4 各心理社会的段階での主要な適応エゴの特質
                           Erikson,1978
人 生 段 階
エゴの特質
定 義
乳児期(誕生〜2歳)
希 望 
人の深遠で基本的な願望がかなえられるという持続的な信念
歩行期(2〜4歳)
意 思
自由な洗濯とセルフコントロールを行使しようとする決断
学童前期(5〜7歳)
目 的
価値ある目標を想定し遂行しようとする勇気
学童中期(8〜12歳)
能 力
課題の完成における技能と知能の自由な行使
青年前期(13〜17歳)
忠誠
自ら制約した価値やイデオロギーにたいして忠節を維持する能力
青年後期(18〜22歳)
忠誠
自ら制約した価値やイデオロギーにたいして忠節を維持しり能力
成人前期(23〜34歳)
児童期の依存性を乗り越える相互性の能力
成人中期(35〜60歳)
世 話
生まれでたものにたいするかかわりに傾倒すること
成人後期(61歳〜)
智 恵
死に直面して人生にたいする超然とした関心を示すこと

神道とは
  つぎに「神道」が保育に示唆するものは、自然の大いなる力への畏怖と感謝、そして、日本の伝統的な産育習俗や通過儀礼に学ぶことです。
神道は生きとし生けるものすべてに神は宿り、その神とは、生命力とも言うべき自然の偉大な力なのです。また、神とは祖先でもあり、人とは、神によって創造されたのではなく、神に始まる遠い祖先から生み継がれてきたものであると、神道は考えています。いわば自然の循環の中に生かされる喜びをかみしめるとでもいえるでしょうか。
 
また、産育習俗とは、少し前までどの地方にも見られた子育ての風習であり、「七つ前までは神の子」といわれた子ども観に立脚した、親だけでなく、共同体全体で取り組む後継者作りの重要な仕事でした。たとえば、帯祝いや初宮参りなどは、子どもを授かったことの神への感謝であるとともに、祝宴に親戚や近所の人たちを招待して地域共同体の一員としてみなで育ててもらうことの確認の儀礼でもありました。あるいは、実の親のほかに、帯親、取上げ親、乳付け親、名付け親や拾い親(わざわざ他人の家の前に子どもを捨てて拾ってもらう)、里親など、多くの養い親をたのんで成長過程の節々に助け合いました。子どもは天からの授かりものであり、神様からの預かりものであり、やがては世間さまに恥ずかしくない立派人間に育ててお返しするものであったのです。 七五三や子ども組(3歳〜7歳)、青年宿(7歳〜15歳)など、子どもが一人前になるまでには、村に様々な通過儀礼が用意され、見方を変えれば危機ともいえる子どもの成長の節目ごとに(病気をしやすい、思春期の入り口であるなど)それはありました。岩屋神社では秋祭りに若者が米俵を担ぐという風習があり、これを無事終えると一人前の男として村中が認め、また自分も大いに自信を持ち、一人前の仕事が与えられ結婚も許されました。
 こうした産育習俗や通過儀礼をそのまま保育園に持ちこむのではなく、習俗の知恵に学び、保育に生かそうというのです。「七つ前までは神の子」とは、子どもは大人の小さいものではなく、神様のように何をしでかすか想像もつかず理不尽で、それでいてかわいく、かけがえのないものであることを意味しています。また、神話をはじめから生き直すようなところがあり、混沌と秩序、すなわち日常と非日常を自由気ままに行ったり来たりする存在でもある、とも考えていました。現代におきかえると、子どもは遊びを遊びきることが大切であり、大人とはまったく異なる子ども時代、大人の価値観でははかりしれない世界を生ききることによって、自立した大人となることができる、といえ、子どもの発達にとっての「遊び」の重要性は、今も昔も変わらないのです。この子ども時代の遊びを遊びきる中から、やがて子どもが生きる意欲を我がものとし、次のライフステーションにそなえます。

 

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 保育園は、教育の場であるだけでなく生活の場でもあります。ですから、主たる養育者と子ども(主に母子間)の信頼関係を基礎とした子どもの他者との関わり方、すなわちコミュニケーションにも多大な注意を払い、子どもと保育者との関係も、年齢やクラス担任を超えて一対一の対応を基本としています。さらに人と人だけでなく、人と物、人と事、人と自然といった関わりのすべてを保育環境と考えています。

たとえば描画活動では・・
 このような家庭と保育園の基本的な関係の上に、文化の伝承(たとえば箸を持つことなども大切な文化です。)と教育を目的とした様々な保育が展開されますが、たとえば「絵を描く」といった活動も、描画指導という観点からだけでなく、それを子どもの大切な自己表現行為として位置づけ、あくまでも子どもの主体 性を尊重するために12色の基本色をパレットに出し、混色しながら、クレパスとともに四つ切りの画用紙に時間をかけて向かいます。子どもは色彩や形と取り組み、友だちや保育者と関わり、画用紙の中に展開するストーリーと語り合います。出来上がった作品は、保育室の壁にすぐに展示し、保育者は一枚一枚の絵から子どもの姿を読み取ろうとします。上手く絵が描けるようになることよりも、自分を絵の中に解き放つことを求める、そういった自己表現が大切にされています。自分だけの色、自分だけの形、自分だけの物語を紡ぎ出すために。 このような描画という表現活動一つをとってみても、保育者は、環境に包まれた「暮らし」と「共同体」と「文化」の三つの場がバランス良く子どもを見守っているか、に注意を向けながら、もう一人の自分作りを支援しています。 岩屋保育園の特色は、厨房や事務室に働くものも含むすべての職員が、基本的には同じ保育観、子ども観を共有しながら、それぞれの個性を発揮して保育にあたっていることです。保育経験を積めば積むほど、子どものことや仕事のことを知れば知るほど、職員は謙虚になり、自分ひとりの力ではなく、多くの子どもたちと同僚と、そして自分を超えて自分を生かす大きな力や自然の恵みに感謝するようになります。

たとえば一泊保育では・・
 産育習俗や通過儀礼も同じことです。(2)でもふれたように、地域共同体の大切な成員の成長を共同体全員が援助するしくみを喪失している今、保育園が子育ての核となり、子どもたちだけでなく保護者や地域の人々も含むネットワークの拠点として機能することが大切であると考えています。  年長になると夏に一泊保育という宿泊保育が、子どもたちを待っています。近くのスーパーに買い出しに行き、カレーとおやつを作り、保育園の風呂に入り、キャンプファイヤーをして保育園に泊まるだけですが、子どもたちには、スーパーも送迎バスも園庭も保育室も、いつもと違ってきらきらしており、先生もこの日だけは共犯者です。軽い興奮が持続するこのような非日常の体験は、保育園だけの通過儀礼と言っても良いでしょう。ただ、これが通過儀礼であるためには、キャンプファイヤーに登場する火の神様(奥の院からやってくると子どもは信じている)が必要であり、そうした聖なる存在がハレの日、ハレの舞台を演出します。

おわりに
 従来、岩屋保育園では一日を「設定保育」と「生活保育」にわけ、設定保育では領域別(教科別)にカリキュラムを作成し、また、生活保育では、健康と基本的な生活習慣の習得の達成度を見てきましたが、現在は、このようなカリキュラムや発達に重点を置いた保育から、個々の保育者が専門性を有し、絶えず子どもと保育に自分の課題を見出し取り組む姿勢を持ち、目の前にいる一人ひとりの子どもから読み取ったことを手がかりとして、目の前の子どもが真に求めていることに応えようとするために、その手段として保育が準備される、あるいは行事が用意される。そのような総合的に子どもの保育園生活を捉えることができる保育園でありたいと願っています。詳しくは「岩屋保育園の保育形態」をご参照下さい。 加えて、ガーデニングの会や音楽を楽しむ会など、保護者と保育園が関わる活動を基礎に、環境問題にも取り組みたいと考えています。こうした活動を通じて、小さな共同体の再生を目ざし、環境と教育を中心としたネットワークが子どもたちの成長を見守るシステムに多少なりとも寄与したいと思います。

(園長記)

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